↑ 1979年8月に撮影された4th TFW/334th TFSのF-4E/72-1484。主翼の付け根にある筒状のものは、コンバットカメラで、一部の機体にはこの装備があった。
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334th TFS "Eagles"
↑ 1980年9月にヨーロッパで開催された”Autumn Forge 80”演習に参加した2機の4th TFW/334th TFS所属のF-4E/67-0217と74-0648
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↑ 1986年5月に撮影された4th TFW/334th TFSのF-4E/73-1195。ヨーロピアンⅠカモフラージュに衣替えしている。
第4戦術戦闘航空団の三羽烏の1つ、第334戦術戦闘飛行隊は、第二次大戦中 志願兵により構成された飛行隊で、アメリカが正式に参戦する以前から、”イーグル飛行隊”としてヨーロッパで活躍していた。1943年にP-47サンダーボルトを受領するまで、イギリス空軍第71飛行隊のメンバーとして、イギリスのスピットファイアー戦闘機でドイツ空軍と対した。ヨーロッパ戦線で彼らが上げたスコアは、395機(内 空中戦で210機)と言う素晴らしい成果を上げている。戦後 彼らは、メリーランド州アンドリュースに戻りF-80シューティングスターを受領、その後ラングレーに移動して、F-86セイバーに機種転換している。そして、朝鮮戦争ではミグ街道に対し殴り込みをかけ、142機を撃ち落とす成果を再び上げている。此処で同隊は多くのエース(5機以上撃墜)を生み出し、ジェット機だけ5機撃墜した最初のエース、ジェームズ・ギャバラ少佐も含まれている。1958年にF-105に更新してベトナム戦に駆り出されているが、ローリングサンダー作戦などの支援業務で、恐らく爆撃が主体であった為、戦闘での撃墜成果は少ない。1972年F-4Eを装備して間もなく、再びベトナム戦への派遣を命ぜられ、タイのウドン空軍基地へ24機のF-4Eを派遣して、ラインバッカー作戦を支援している。
↑ 1981年2月にスイモアジョンソン基地”Shady-J”で撮影された4th TFW/334th TFSのF-4E/72-1493。当時3個飛行隊を擁していたスイモアジョンソンのエプロンは、60機以上のファントムが並び壮観であったはずだが、1982年に更に1個飛行隊加わるのでE型の一大拠点となる。。
↑ 1978年5月アンドリュース空軍基地で撮影された4th TFW/334th TFSのF-4E/72-1478。主翼の兵装ラックには、AIM-9Jと思われる空対空ミサイルのダミー弾が2発。
↑ 1979年8月に撮影された4th TFW/334th TFSのF-4E/73-1172。同機はロールアウトから廃棄になるまで、ほぼ一生を同航空団で凄し、最後は、標的機となって一生を終えた。4th TFWにはそのような機体が多かった。
↑ 1970年4月から約1年をかけて4th TFWの全飛行隊のファントムが、D型からE型に更新された。334th TFSは、真っ先に更新を終えた飛行隊で、当初の機体は、機首バルカン砲口に消炎装置の無い型だった。テールレターが”SJ”に統一されるまでは、胴体左泡にスコードロンインシグニアを付けていた。この機体は1973年にイスラエルに売却された。
↑ 撮影日不明だが、1980年前後に撮影されたと思われる4th TFW/334th TFSのF-4E/72-0139。撮影場所の記載がないが、かまぼこ型のシェルターが並んでいる為、恐らくヨーロッパで撮影されたもの。
↑ 1980年4月に西ドイツ ラムシュタイン空軍基地に着陸する4th TFW/334th TFSのF-4E/73-1163。この機体は、1990年3月7日オクラホマで墜落している。
↑ 1981年2月に撮影された4th TFW/334th TFSのF-4E/73-1168
↑ 1983年4月に撮影された4th TFW/334th TFSのF-4E/74-0661。オーバーラル・カモフラージュになり、尾翼のラインは、はっきりした青色のものに塗り替えられた。